教育×読書 「人に迷惑をかけるな」と言ってはいけない(3) 自信をもたせる声かけ!

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「うちの子はいつも○○で~」「うちの子なんて○○です」と子どもの前で言っていませんか?

 大人同士の中では、相手を立てるため言っているこんな会話。実は子どもの自信を大きく失わせることになります。相手を立てることと子どもの自信みなさんはどちらを取りますか。

 ということで、今回は「自信」についてOKな声掛けとNGな声かけについて具体的に見ていきたいと思います。

要約

自信を失わせる呪い

アピール上手でグローバル通用する子を育てる

✖️「うちの子なんて」

⭕️「この子はこれが本当にうまいのよね」

 「〇〇くんはすごいよね、運動が何でもできるから。家の子はすごい運動音痴で」

 そんなことないよ。うちの子は体力があるだけで、何もできないよ。××君は賢くていいなぁ」

 子どもを連れたお母さん同士の間が会話、日本ではよく見られる。しかし、海外でやったら「虐待」と言われる。

 海外では、自分の子どもを人前でよく褒める。事あるごとに大人の力込められている子は、自分に自信を持てるようになるし、他人を褒めることも素直にできるようになる

 「うちの子なんて…」と言う謙遜は、グローバル化していく社会においてはマイナスにしかならない。自己肯定感が育まれないのはもちろん、アピール下手になってしまうからだ。

 日本人はアピール下手だと言われている。しかし、いつまでもアピール下手のままでは本当にもったいないし、これからの世界で活躍できなくなってしまう。子どもたちには、しっかりアピール力をつけていく必要がある。

〇〇できない子は言葉がつくる

✖️「この子はいつも〜なのよね」

⭕️「今回は〜だったね」

 「この子はやることがいつも遅いのよね」「この子は人前で話すのが苦手で」と人に話すのと同様に、本人に「いつも口だけじゃないの」「時間にルーズだよね」などと言うのも、同じくNGな声かけである。

 「この子はやることがいつも遅いんだよね」と言うことによって、子どもは「やることがいつも遅い」とラベリングされることになる。すると、その子はラベル通りに生きようとする。まさに、呪いになってしまう。

 ネガティブなラベルを貼ることでネガティブな行動を、ポジティブのラベルを貼ることでポジティブな行動をするようになる。期待に応えようとするのだ。

 ただ、ポジティブなものであっても、闇雲にラベルを貼るのは良くない。それが本当にその子にとって良いものかどうか、誰にもわからないからである。

 そのため、ネガティブであれポジティブであれば「あなたは〜だ」「いつも〜だ」と言う言い方でなく「今回は〜だったね」と言うべきである。過去と今を切り離して話すのが大切だ。

役割で自信を失うこともある

✖️「お兄ちゃんだから我慢しなさい」

⭕️ 家族の中での役割より、個性を重視

 日本人は家族を呼ぶときに役割で呼ぶことが多い。夫婦でも「お父さん」「お母さん」と呼ぶし、「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と言う呼び方をよく使う。

 これは、家庭の中であっても、組織で決められた役割を演じると言っていると言うことだ。

 家族みんなに「お母さん」と呼ばれ、外に出ても「〇〇ちゃんのお母さん」と呼ばれ…、どこに行っても「お母さんの役割を演じてください」と父に言われていたらどうだろうか。自分の個性はどうなるのか、と言う気持ちになってもおかしくないだろう。

 子ともを「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と呼ぶことも同じである。その子の個性を無視して、兄らしくあれ、姉らしくあれと言っていることになる。「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」は、その「個性無視・役割の押し付け」の典型だ。本当は、その子の個性はいろいろだし、兄弟間の関係も様々なはずだ。

 家族に対して優しいとか、年長者がリーダーシップを取ると言うのは理想的かもしれないが、必ずしもそうでなくて良い。いろいろな形があって良いだろう。

親子関係を見直そう

✖️ 矛盾したメッセージを伝える

⭕️ ダブルバインド、「人生脚本」に気づく

 「本当にやりたいことをやればいいんだよ」「自分のやりたいことを見つけるのが大事だ」と日ごろから言っているのに、例えば子どもが「お笑い芸人になりたいんだ」と言ったら顔をしかめ、「それは本当にやりたいことじゃないんじゃないか」と言って否定する親。矛盾している。

 でも、実際とてもよくあることだ。こういった矛盾したメッセージを受け取った側が、その矛盾を指摘することができず、応答しようとして身動きが取れなくなってしまうことをダブルバインドと言う。

 このとき子どもは、どちらの命令に従っても親を満足させることができないため、混乱し、動けなくなってしまう。こういったダブルバインドが続けば、子どもは自分で決めることができなくなり、常に親の顔色を伺うようになる。

親からのメッセージで「人生脚本」が作られる

 「人生脚本」とは幼少期に「自分はこういう人生を生きるのだ」と思い込み、その通りに行動するというものだ。

 様々なシチュエーションや人間関係で、なぜか同じパターンが繰り返されると言う場合、無意識にそういう「人生脚本」を描いている可能性がある。

 たとえば、「あと一歩で成功しそうだというときに、なぜかいつも怪我をしたり病気をしたりして成功を逃す」というパターンの人は、「がんばるのに、あと1歩のところでいつも成功できない」と言う「人生脚本」を書いてしまっているのかもしれない。

 人は、幼少期に親や周りの大人から受けた禁止令を通じて「人生脚本」を書くと言われている。

 子どもをダブルバインドに置き、身動きが取れない状態にしないためには、まずは「知る」「気づく」ことだ。

 ダブルバインドが「人生脚本」の概念を知ったと言うだけでも、大きな一歩だ。知っていれば、「もしかすると自分もこういう矛盾したメッセージを出してしまっていたのではないか」と気づくことができるだろう。

教育と関連して

 教育現場でも子どもをラベリングしたり、役割を与え縛り付けてしまったりすることが多いように思います。「○○さんは何でもできるから、××を任せよう」「リーダーシップが取れるから委員長をやってもらおう」など子どもの本当の気持ちを理解せずに教師の思いだけで押し付けていることがあるのではないでしょうか。周りから見た能力や特性で決めつけるのでは無く、子どもの思いを優先していく必要があると考えます。

 「ダブルバインド」についても、無意識のうちにやってしまっていることが多いのではないでしょうか。例えば、「たくさん話し合いなさい!」と言ったと思えば「うるさい!」と叱られたり、「急げ!」と言われたかと思うと、「急ぎすぎ!」と言われたり…。子どもからしたら訳が分からないですよね。教師のイメージと子どものイメージが違うからそうなってしまいます。子どもの考えに寄り添い、お互いのイメージが共有できるように具体的に伝えることが大切ですね。

 私もダブルバインドをしてしまわないように気を付けたいと思います!