教育×読書 共感障害「話が通じない」の正体(1)認識フレームと個性 

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 「あの人とは何か合わないのよね…」「何だか話が通じないなぁ…」

 誰もがそう感じた経験があるのではないでしょうか。実は、感覚が合わないと感じるのは、心の問題ではなく、脳の特性によるものなのです。

 ということで、今回は脳の特性によるものの見方の違いについてまとめていきます。

要約

「話が通じない」は、心ではなく脳の問題である。

 会議が終わって、1つ上の先輩がコーヒーカップを片付け始める。あなたが新人だったら、どうするだろうか。

 先輩を手伝い、次からは自分が率先してやる方が良いであろう。

 しかし、それができない人がいるのである。怠惰ならば、まだ良い。心を入れ替えればいいだけのことだ。問題は、「一生懸命で、真摯で、一途なのにも関わらず」それができないのがあることだ。

 「先輩がカップを片付けている」と言う事象が、うまく認知できないのである。その風景が目には映っているのだが、脳が一連の所作としてつかめていない。

 周りがしていることが、自分の所作に連動しない。「風景」から「先輩の所作」をきり出せない。このため、先輩の所作から、暗黙のうちに学ぶことができないのである。

 著者が「共感障害」と呼んでいる脳のトラブルの一種である。

脳は、世界の全てを見てはいない

「脳の認識傾向」が違えば、ものの見方も違ってくる。

 そもそも脳は、この世のすべてを認知してなんかいられない。電車で目の前に立った人の、服のボタンの糸の色まで気になっていたら、「必要なものを、必要な時に、とっさに認知する」ことがかなわない。

 このため、脳は、生まれつきの資質と経験によって、「とっさに認知するもの」を決めていくのである。

 著者は、とっさに使う「認知の枠組み」を認識フレームと呼んでいる。

 人は、いくつもの認識フレームを持っていて、それを時と場合によって使い分けている。

 認識フレームには、潜在意識のそれと、顕在意識のそれがある。

 例えば、ある女性が「恋人候補の男性」を見分けるとき、顕在意識の認識フレームでは「学歴、収入、身長」を気にし、潜在意識の認識フレームでは「眉毛の生え方、声の甘さ」に反応したりする。

 別の女性は、顕在意識で「お金の使い方がスマート、ユーモアがある「閉じるを探し、潜在意識では「成田が熱い、笑顔が素敵」に反応する。

 この2人の間では、「あの人、いいと思わない?」が通じないし、それで良いのである。

 脳の中には、膨大な数の認識フレームが入っていて、同じシチュエーションでいつも同じものを使うとは限らない。そもそも「同じシチュエーション」のくくり方が、顕在意識で考えるそれと、潜在意識のとっさの判断とでずれることがあり、ホルモンバランスによっても、ばらつく。ときには潜在意識と顕在意識が競合干渉を起こして、自己矛盾が生じることもある。

認識フレームの欠如が個性を作る

 人はだれでも、典型的な認識フレームと、独自の認識フレームを併せ持っている。その比率によって、社会性の高さと個性の強さの度合いが決まる。

 さらに、誰もがそれぞれに、よく使う定型の認識フレームを持っている。この定型の認識フレームを使って、「世界」を要領よく切り取っていくのである。

 典型的な認識フレームを定型フレームに多く持ち、ほどよく社会に適応しながら、時に独自の認識フレームで、キラリと個性を見せる。さらに、ここぞと言うときには、即興の認識フレームを作り上げて、新発見をしたり、新発想をする。社会で活躍していくにはそれが、脳の理想的な使いなのであろう。

 ある時点で典型的な認識フレームが欠けていても、認識フレーム生成能力の高い人は、ちゃんとやっていける。ちょっとぼんやりした個性的な子供→ちょっと変わった愛嬌のある若者→想像力に溢れた魅力的な大人、という仕上がり方である。

脳のタイプ

エリート脳

 典型的な認識フレームが豊富に取り揃っていて、代わりに独自のフレームが少なく、認識フレーム生成能力もやや低めのタイプは、見栄えのいい優等生に多い。

 おそらく、生まれつき、親や社会の認識フレームを受け取りやすい性質なのであろう。幼い頃から与えられたものを素直にどんどん吸収できるので、「勉強」「習い事」に強い。挨拶もできて、コミニケーションにそつがない。見栄えが良くて、勉強ができれば、夜の王道は行くので、後天的にも、典型外の認識フレームを作る必要が無いのである。

 ただし、このタイプは、「自分の常識」が通用しなくなった局面で、極端に弱いことがある。他者から見た理想の自分を無自覚に演じてしまう「いい子ちゃん」症候群に陥って、自分を見失い、苦しくなってしまうこともある。

天才脳

 独自の認識フレームを溢れるように持ち、かつ新たな認識フレーム生成能力が高いタイプは、変わり者あるいは天才と呼ばれる。その境界線は曖昧で、周囲の理解度によって、大きく左右される。

 このタイプで、かつ典型的な認識フレームをそれなりに身に付けているのは、最強と言っていい。脳の個性と、育て方がうまくマッチングしたケースで、意図的に作り出すのは難しいような気がする。

典型フレーム優先か、独自フレーム優先か

 典型の認識フレームを多く持つと、勉強ができ、スマートに行動できる。社会適応力が高く、信頼され、重宝される。一方で、展開力や発想力の乏しさに悩むことがある。

 独自の着眼点をつなげた独自フレームを多く持つと、人と違った発想ができる。変わり者と言われ、愛する人に悲しい思いをさせ、周囲とぎくしゃくしながらも、自分にしかできない何かを手に入れる人たちである。

 前者だけだと、人生はつまらない。後者だけだと、人生が破滅的になる。この2つがどう混じるかが、人生の味を決めるさじ加減だ。そして、違うバランスの人間をどう混ぜるかが、組織のさじ加減でもある。

 人はだれでも、典型と独自、どちらの認識フレームを持っている。

 要は、その比率と、日常の定型として、どちらを優先して使うかにかかっているのだ。

教育と関連して

 典型的なフレームと独自フレームの比率によって、その人の社会性や個性の度合いが決まることを知りました。世間的に見て、どの比率の人がよいのかは分かりませんが、学校は、どんな人でも認め、受け入れる場にならなければいけないと思いました。

 最近は独自フレームの比率が多い子も認められるようにはなってきつつありますが、まだ足りないように思います。一定のルールや枠からはみ出る子を「手がかかる子」「困った子」と異端児扱いしていることもあるのではないでしょうか。

 そういった子の見方やアイデアを取り入れて学級や学校に取り入れれば新たな発見に繋がり、全体がより成長するのではないかと考えます。

 学校、学級を多様な見方や考え方を知り、今後の人生にプラスになる場にしていければと思います!