教育×読書 賢い子はスマホで何をしているのか (2)

にほんブログ村 教育ブログへ

1  1章(1) 要約

 

 

なぜ世界の学校はデジタル化を急ぐのか「読み、書き、プログラミング」の時代

暗記の価値が落ちる時代

 今も昔も学校での授業の様子は変わらない。

 先生が黒板の前に立ちチョークを使って板書する。子供たちは黒板に書かれた文字を鉛筆を使ってノートに書き写す。ほとんどの方がこのような授業を受けてきたのではないだろうか。

 でもそれって何だか変ではないだろうか。

 大人は、仕事でパソコンを使わない日は無い。紙の書類を書く機会も減り、「漢字が書けなくなってきている」と感じることも多くなってきているのではないだろうか。

 でも学校では今も昔も変わらずの光景が見られる。こうした光景の中に今の教育現場の矛盾が表れている。

 これまでの時代はそれでも良かったかもしれない。産業革命期の工業社会では画一的なものを大量に生産する能力が求められた。やることが決まっていたためあまり考え込まず、自分を消して歯車になる方が効率的だった。

 そのための人材を育てる場所として生まれたのが、近代の学校だった。

 しかし、今は時代が変化してきている。インターネットで検索すればすぐに答えが見つかるものが多い。「知識を大量に覚えていること」がかつてほどの価値をもたなくなってきている。

決まった正解がない時代を生きる子供たち

 さらに重大な変化が、「決まった正解」がなくなってしまったことだ。ICT技術が加速度的に進化することで、社会が変化するスピードもどんどん早くなっている。これからは人類の誰も経験したことのないシーンに直面する毎日になる。誰も経験していないため、正解を知る人はいない。

 学校で学んだ知識だけで一生、通用する時代なら、暗記重視でもよかった。でも、これからの時代、学校で学んだ知識などすぐ陳腐化してしまう。だから、社会の変化に合わせて、卒業後もずっと学び続けないといけない。

 大人になっても学ぶ。学んでも、学んでも、それが終わる事は無い。まさに「生涯学習」の時代に突入している。

 学校に求められることも当然変わってくる。そこは一方的に知識を授ける場から、「学び方を学ぶ」場に変わった方が良い。学び方さえ知っていれば、卒業後も自分で学び続けることができる。これからは「何を学んだか」以上に、「学び方を知っているかどうか」が重要になる。

2 感想

教育と関連して

 著書は、「今も昔も学校での光景は変化していない」と述べているが、私が学校で授業を受けてきたときと比べても、今の授業とさほど変化していないように感じる。

 GIGAスクール構想のため、1人1台タブレット端末が配付され、昨年度あたりから少しずつ授業の様子が変化してきているように思うが、まだ黒板にチョークを使って板書し、子どもたちはそれをノートに写す、という光景は大きく変わっていない。

 さらに、著者は、「知識を授ける場から学び方を学ぶ場への変化が必要」と述べている。しかし、未だに変化を嫌い、今まで通りの教え込みの授業、ひたすらプリントやドリルをやり込ませる課題等、知識を授けることを重視をしている人も少なくないように感じる。

 いきなり大きな変化をするのは誰だって怖いし、抵抗感がある。知識を授ことに重きを置いた授業から脱する為に、まずは挑戦する教科を決める。それでもハードルが高ければ、1つ単元決めて挑戦する。スモールステップで抵抗を無くしていき、他の教科に広げていけると良い。まずは自分から挑戦。その姿から、周りの先生、学校に広がっていく姿を期待したい。